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Masayuki Nagare流 政之

流 政之

流 政之(ながれ まさゆき、1923年2月14日 ~ 2018年7月7日)は、日本の彫刻家、作庭家。
1923年長崎県に生まれ、幼少時代は東京で過ごす。
1936年京都に移り、1942年立命館大学法文学部へ進学。
その後中退し、海軍予備学生出身の零戦搭乗員として終戦を迎える。
その後、世界各地を放浪、独学で彫刻を学び現在に至る。1964年にニューヨーク世界博覧会で壁画「ストーンクレージー」(日本から2500個、600tの石を運んだ。)を展示し話題を呼ぶ。
1975年には、ニューヨーク世界貿易センターのシンボルとして約250トンの巨大彫刻『雲の砦』をつくり国際的評価を得る。また、作品『受』はニューヨーク近代美術館の永久保存作品(パーマネントコレクション)として収蔵されており、彼の国際的評価の高さを裏付けている。1967年には、TIMEが選ぶ日本を代表する文化人の一人に選ばれました。
彫刻家として活躍する中、庭園の作品や墓石のデザインも設計士、多くの作品を残しています。代表作に東京天理教館庭園、皆生温泉東光園庭園。
香川県高松市庵治町のアトリエ“NAGARE Studio”にて数多くの作品を日本・世界中に向けて作成されました。
2018年7月7日にお亡くなりなられ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
現在、制作の場としたスタジオが2019年8月8日、流 政之美術館として公開されました。

略歴

1923年  2月14日、長崎に生まれる。

1956年  子供の供養に「ながれ地蔵」をつくる。

1962年  大分県庁にコンクリート型枠の壁画「恋矢車」をつくり日本建築学会賞を受ける。

1963年  石匠塾とともにニューヨークに渡り、世界博日本館に日本から運んだ、個数2,500個、重さ600トンの石の壁画を製作。

1967年  香川に若い職人たちに夢をあたえたとして、最年少44歳で香川県文化功労者に選ばれる。

1975年  ニューヨーク ワールド・トレード・センターに250トンの彫刻「雲の砦」完成。

1979年  日本アカデミー賞のため「映画神像」をつくる。

1981年  奥尻島に「北追岬」が4年がかりでできあがる。

1983年  「北追岬」などの作品により吉田五十八賞を受賞。

1988年  瀬戸大橋開通に、橋の守り神「どだま獅子」をつくる。

1989~91年  瀬戸大橋のたもとに、あらたな香川の伝統をみせる作庭「浜栗林」をつくる。

2001年  JR高松駅に、人々の出会いぬくもりをと、高松の7つのロータリークラブによって「だいてんまい」をたてる。

2002年  北海道東大沼に、流企画のもと流山温泉がオープン。ここに、彫刻公園「ストーンクレージーの森」をつくる。

2003年  JR函館駅のため、歴史壁画「きのうの敵はあすの友 函館解放1868年」をつくる。

2004年  2001年9.11のテロに耐え雲のようにはかなく消えた「雲の砦」が、北海道立近代美術館で「雲の砦Jr.」として甦る。

2005年  北海道知事公館に「サキモリ」をたてる。

2013年  北海道赤平の公園を 彫刻公園サキヤマと 命名し、 「 ナガレバチ 」 「コロポックル」「旅法師 Jr. 」が加わる。
     筑波航空基地の跡地、茨城県立こころの医療センターに「かえり雲」をたてる。

2014年  富士山の麓に「富士向くサムライ」をたてる。
     北海道赤平の彫刻公園サキヤマに「サキモリ」「ピリカ」が加わり10作品となる。
     新しく建てかわった香川県立中央病院に「まかしまい」をつくる。

2015年  岡山のカイタック本社に「ピリカ」をたてる。
     渋谷のギャラリーNANZUKAにて「流政之 SAMURAI展」 。
     北海道赤平の赤平神社に「獅子頭」をすえる。寄贈:植村正志
     姫路の山陽百貨店にて「流 政之展 」。

2016年  札幌のギャラリーレタラにて「前進6人展」に出展する。
     旭川のギャラリーシーズにて「流 政之展」。

2017年  岡山ビジネスカレッジ田町キャンパスに、ナガレバチと乱世無頼をたて、学生たちを応援する。
     菊池寛生家跡の記念として、高松に「大黒天」をつくる。設置者:公益財団法人流財団 。

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